はじめに

人は、いくつかの袋を持っている。別に一つしか持っていなくてもいい。

とにかく、何かしら、袋的な、色々入る便利な入れ物を持っている。別に便利じゃないこともある。

 

その中に、私達は各々、好きなものを、好きなだけ入れることができるし、好きなときに好きなだけ取り出して見せることもできる。上手く取り出せない可能性や、そうしたときの、周囲の反応はさておいて。

 

結局取り出すというのに、何故袋があって、中に色々入れたり、入れなかったりするのかというと、全部出しっぱなしにしておくことはきっと、多くの人にとっては難しいし、リスクが大きすぎるからだろうと、私は思う。

全部出しっぱなしでも、上手くやりくりできる人もいるだろうし、上手くやりくりできなくても全部出しっぱなしにしていられる人も、そうでなくとも全部出しっぱなしの人もいるのだろうけど。

 

少なくとも私は、いくつかの袋を持っていて、色々詰め込んで、状況によって取り出す中身を決めたり、出したくなったから後先考えずに中身を外に出すことだってあって、今まで出会って来た多くの人々は、全部出しっぱなしにしているという感じではなかったから、私に見える世界の範囲内では、多くの人がそうなのだろうと、考えたわけです。

 

何が言いたいのかといえば、私はここで、自分の持っているいくつかの袋の中から、好きな時に好きなものを取り出して並べていくのだと思う、ということ。

素敵な中身を素敵に見せることができるときもあるだろうし、そうでない様々な、嫌な感情を想起させるように、中身を弄ってみせることもあるだろう。それは何か明確な目的があって行われる場合もあるだろうし、何も考えていないことだって当然あると思う。

例えばこの記事のように、何も中身がないような話をすることだっていくらでもある、かもしれない。何にせよ、できるだけコントロールするように善処してみようと思う。

 

ただ、そこには私がたしかに存在していて、しかしそれは私のほんの一部分に過ぎないんだ。

 

あと別に、何かしらの入れ物であれば、袋じゃなくてもいいと思う。